ポスト資本主義社会
- この100年間における生産性の爆発的な向上をもたらし、先進国経済を生み出したものが仕事への知識の応用だったという事実を、ほとんど誰も認識していない。
- 経営管理者とは「他の人の働きに責任をもつ者」と定義されるようになっていた。しかも今日われわれは、この定義されあまりに狭義であることを知っている。正しくは「知識の応用とその働きに責任をもつ者」である。
- 組織の機能は、専門知識を生産的にすることである。一般知識から専門知識への移行があったからこそ、先進国において組織は社会の中心的な存在となった。専門知識は、専門化すればするほど成果をあげる。
- 個々の専門知識はそれだけでは不毛である。結合して、初めて生産的となる。これを可能にすることが組織の機能であり、存在理由であり、役割である。
- 明確かつ焦点の定まった共通の使命だけが、組織を一体とし、成果をあげさせる。焦点の定まった明確な使命がなければ、組織は直ちに組織としての信頼性を失う。
- 現代の組織は、ボスと部下の組織ではない。それは僚友によるチームである。組織では、常にマネジメントが行われる。社会やコミュニティや家族にリーダーがいるように、組織にもリーダーがいる。しかもマネジメントが行われるのは、組織においてだけである。
- 成功する組織は、自らの内に、自らが行っていることすべてについて体系的廃棄を組み込んでいる。数年ごとに、あらゆる工程、製品、手続き、方針について徹底して検討することを身につけている。
- 肉体労働者は全面的に機械に依存した。しかし、知識労働者たる従業員と生産手段との関係は相互依存的である。一方を抜きにしては、いずれも機能できない。
- 歴史上、働く者は監督される存在だった。彼らは、何を行うか、いかに行うか、いかなる速さで行うかを指示された。これに対し、知識労働者たる従業員は監督されえない存在である。むしろ彼らは、自らの専門について自分よりも詳しく知るものが存在するようでは、あらゆる意味で無益な存在となる。
- 仕事の流れを適切なものにするための組織の改革が、マネジメントの階層のほとんどをなくすことである。
- 知識組織においては、専門家の貢献について評価するだけの知識をもっている者さえほとんどいない。マーケティング部長の多くには、マーケット・リサーチャーの仕事ぶりを評価するだけの知識と経験はない。マーケット・リサーチャーの手法や言葉さえ知らない。
- 組織の中の全員が、自らの貢献を徹底的に考える責任を負う。すなわち、知識労働者としての自らの責任について徹底的に考える責任がある。これは、知識組織においうては、あらゆる者にとっての責任である。
- コミュニティは必需である。膨張しつつある巨大都市や、人口の増大しつつある郊外において必要とされる。すでにかつての田舎のように、同じ利害、関心、仕事をもつ同じ教育程度の人たち、つまり同じ世界に住む近くの人たちに頼ることはできなくなっている。
- ボランティア活動が活発になった原因は、社会サービスの必要が増したからではない。ボランティアの側が、コミュニティ、参画、貢献の場を求めたからだった。
- いまやNPOにとって、サービスの受け手に何を提供できるかよりも、ボランティアに何を提供できるかが重要な意味をもつ。
- 知識の生産性を上げるには、第一の原則として目標を高く掲げなければならない。一歩一歩は小さくわずかかもしれない。しかし、目標は野心的でなければならない。知識は、意味ある変化をもたらすために使われて、初めて生産的となる。
- 10年もすると、彼らの多くが学校に戻りたくなる。そのとき彼らは、教えたことのある者ならば誰でもしっているように、強い動機のゆえにきわめて意欲的な学生となる。彼らはさらに高度な仕事につこうとしている。
- ポスト資本主義社会は、これまでのいかなる社会にも増して教養ある人間を必要とする。偉大な遺産を理解することを不可欠とする。しかもその遺産は、西洋文明やユダヤ・キリスト教の伝統に限らない。
- 知識人は、組織を手段として見る。組織のおかげで、彼ら知識人は彼らのテクネー(技能)、すなわちその専門化された知識を応用することが可能となる。他方、経営管理者は知識を組織の目的を実現するための手段として見る。いずれも正しいが、両者は対照的である。対立的ではない。対極にある。互いが互いを必要とする。
- われわれは多様な専門知識に精通した博学を必要としない。事実、そのような人間は存在しえない。逆に、われわれの知識はますます専門化していく。したがって、われわれが真に必要とするものは多様な専門知識を理解する能力である。そのような能力をもつ者が、知識社会における教養ある人間である。
日銀のマイナス金利と昨今の金融緩和について
日銀がマイナス金利を導入しましたね。
それにしても、全世界で金融緩和だらけです。
そろそろ気づかれるかもしれません。
「そういうことじゃなくね?」
と。
単純に需要が無いんでしょ?
という話です。
資本主義は成長し続けることを前提としているからですね。
そんな必要性をもう感じていないとしたら?
ポスト資本主義社会は始まっています。
7つの習慣 人格主義の回復
- 息子を肯定し、彼の価値を認め、成長を喜ぶことが、親の自然な役割なのだとわかった。
- 自分の知識をひけらかしてばかりいたら、成長にとって必要な自分の無知を自覚することなど、どうしてできるだろうか。
- 幸福とは、最終的に欲しい結果を手にいれるために、今すぐ欲しい結果を犠牲にすることによって得る果実に他ならない。
- 私たちは、自分の身に起こったことで傷ついていると思っている。しかし実際には、その出来事を受け入れ、容認する選択をしたことによって傷ついているのだ。
- 他者の弱点や欠点を批判的な目で見るのをやめ、慈しみ深い目で見る。問題はその人の弱点や欠点ではなく、それに対してあなた自身がどんな反応を選択し、何をすべきかである。
- 痛みといっても慢性であるため、知らず知らずのうちに慣れてしまい、その痛みを受け入れて生きていくすべを身につけてしまう。
- 「まず理解に徹し、そして理解される」この原則が効果的な人間関係におけるコミュニケーションの鍵なのである。
- 人が本当に傷つき、深い痛みを抱えているとき、心から理解したいという純粋な気持ちで話を聴いてやれば、驚くほどすぐに相手は心を開く。その人だって胸の内にあることを話したいのである。
- 人の意見を「評価」したい気持ちを創造力と想像力、活発な意見交換によって抑える。すると、普通では考えられないようなことが起こる。
- 違いを尊重することがシナジーの本質である。
- 自分の考えと「間違った考え」の2つしか見えないときは、あなたの内面でシナジーを創り出して、第3の案を探すことができる。ほとんどどんな場合でも、シナジーにあふれた第3の案は見つかる。
- テレビほど社会的影響力の強いものはない。テレビを見ると、そこから流れてくる価値観にいとも簡単に引き寄せられる。実に巧妙に、知らず知らずのうちに、私たちを強烈に感化しているのである。
- 「あなたと私とでは、この問題に対する見方が違うようですね。よく話し合って、お互いに満足できる道を探しませんか?どうでしょう?」こう言われれば、ほとんどの人は「やってみましょう」と答えるはずである。
- お互いに愛情を持ち続ける鍵は、話をすることだ。それも感情について話すことが大切だ。
いかなる状況においても相手とのシナジーを生み出すことは可能であり、そう目指すべきである。
Win-Win or NoDeal
バックアップが壊れているか、復元対象のiPhoneの互換性がないため復元出来ません
iPhone 6 の画面が割れてしまったため、交換の手配をし、元の端末のデータをiTunesで完全バックアップを取得し、さて、新端末へリストアしようとしたところ・・・
「バックアップが壊れているか、復元先のiPhoneと互換性がないために、iPhone”○○”を復元できませんでした。」
とな。
おいおいおいおいおいおい。
色々調べていくと、
- iOSのバージョンが違う。
- バックアップ時に、ウィルスソフトによりファイルが削除される。
に集約されるようです。
1. に関してはAppleの公式ページにあります。
https://support.apple.com/ja-jp/HT203434
2. に関しては、いろいろ対処法があるようです。
http://blog.lunasaurus.com/entry/2014/11/10/021906
http://fanblogs.jp/macyarounanoka/archive/113/0
が、私がとった方法は単純で、ウィルスソフトを全部無効にし、再度完全バックアップを取得しました。
そこから新端末へ復元!
できた!
できたからよかったけど、ゾッとしますね。
保育園義務教育化
- 出生率が高く、子どもを育てやすい国として知られているフランスでは、ベビーシッターを使うことは当たり前で、国から補助金も出る。実際、3歳未満の子どもの約2割は、主にベビーシッターが面倒を見ているという。
- 現代の育児というのは、相当の「情報強者」か「経済強者」でないと務まらないということだ。
- 子どもと家にずっと一緒にいてストレスを抱えているお母さんよりも、きちんと自分の時間を持って活躍しているお母さんのほうが、結局は子どもにとってもいいということだ。
- 孤立したお母さん(特に専業主婦)ほど育児不安になる確率が高い。
- 「子どもの教育にお金や時間をかけるとしたら、小学校に入学する前の乳幼児期の教育が一番重要だ」
- 「人生はいつでもやり直せる」とか「人生に手遅れはない」というが、実際は人生は後から挽回するのが非常に難しいというのだ。
- 実は保育園や学校に行く意味は、「学力」以上に、この「非認知能力」を磨くことにある。
- 「日本の伝統的な子育ては素晴らしい」とか「昔は人情に溢れていた時代だった」という人がいるが、それは歴史資料を見る限り、全くの嘘だということがわかっている。
- 「母性は本能だ」なんて言ってしまうが、大正より前の日本人は「母性」という言葉さえも使っていなかったのだ。
- 「サラリーマン」と「専業主婦」は1960年から1990年頃の、日本経済が好調だった時代の産物だったのだ。それは日本の伝統でも何でもない。
- ちなみに、女性の労働力率を上げるには、子ども手当を支給するのではなく、保育園を整備した方が効果的なこともわかっているという。
- 重要なのは、今よりも若者がセックスをしていなかった時代のほうが、今よりも子どもの数も多かったし、出生率も高かったということである。
- まず産業構造が「女性化」している。この数十年で建設業や製造業など「男性」が得意とされる職業が減少した。一方で介護職などのケア労働といった「女性」の方が就職に有利な職業が増加した。
- 女性が子どもを産みにくい社会では少子化が進む。
- アメリカでは様々な実験が行われてきたが、その多くが「良質な保育園に行った子どもは、人生の成功者になる可能性が高い」といった結果を示している。
- 殺人によって亡くなった人は1955年には2119人もいたが、2014年には357人まで減っている。激減といっていいだろう。数が減っているからこそ、1つ1つの殺人事件をニュースやワイドショーで大きく取り上げる。
育児のする気のない(または間違った育児をしている)親が育てるくらいなら、保育園に預けた方が世の中のためにもはるかに良い結果になる。
乳幼児期の教育は、IQに代表されるような認知能力にはあまり効果はないが、社会性などの非認知能力を将来に渡って向上させる点に効果がある。
「学力」の経済学
- ご褒美は、「テストの点数」などのアウトプットではなく、「本を読む」「宿題をする」などのインプットに対して与えるべきだ。
- 学力が高いという「原因」が、自尊心が高いという「結果」をもたらしている。
- 学生の自尊心を高めるような介入は、学生たちの成績を決してよくすることはない。
- 子どもが、1日1時間程度、テレビを観たりゲームをしたりすることで息抜きをすることに罪悪感を持つ必要はありません。
- 「勉強するように言う」のは親としても簡単なのですが、この声かけの効果は低く、ときには逆効果になります。エネルギーの無駄遣いなので、やめたほうがよいでしょう。
- 実は、学力の高い優秀な友人から影響を受けるのは、そのクラスでもともと学力の高かった子どものみなのです。中間層やもともと学力の低い子どもたちは、何ら影響を受けないことが分かっています。
- どの教育段階の収益率がもっとも高いのか、と聞かれれば、ほとんどの経済学者が一致した見解を述べるでしょう。もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です。
- 重要な非認知能力:「自制心」「やり抜く力」
- 「自分のもともとの能力は生まれつきのものではなくて、努力によって後天的に伸ばすことができる」ということを信じる子どもは、「やり抜く力」が強いことがわかっています。
- 少人数学級は学力を上昇させる因果効果はあるものの、他の政策と比較すると対費用効果は低い政策であることも明らかになっています。
- 学校で平等を重視した教育- 「手をつないでゴールしましょう」という方針の運動会など – の影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまうことが明らかになっています。
- ある子どもを、ほかの子どもや集団と比較するのではなく、過去のその子自身と比較して昨日より今日、今日より明日と伸ばしてやれる先生こそが、「いい先生」なのです。
- 最近の研究に限ってみれば、教員研修が教員の質に与える因果効果はないという結論が優勢です。 「教員免許を持っているかどうがが子どもの学力に与える影響は非常に小さいのにもかかわらず、教員免許を持っている教員同士の質の差はかなり大きい」
幼児教育は意味があるのか?というのが昔から議論されているが、一応の結果は既に出ている。
・認知能力(IQ等)→効果なし
・非認知能力(社会性等)→効果あり
夏休みの宿題③
自由研究、読書感想文の他に夏休みの宿題と言えば
・問題集みたいなやつ
・日記みたいなやつ
・書道
などがありますね。
王道はこれくらいでしょうか。
さて、これらをどう終わらせましょうか。
まずは
・問題集みたいなやつ
から。
自由研究、読書感想文で1日使ってしまったので、残りはあと2日です。
そうなれば逆にもう簡単ですね。
・・・親の力を借りる・・・
ではありません。
他の人に見せてもらいましょう。
他の人に見せてもらえるよう、夏休み前半の37日間で調整しましょう。
これは意外とできます。できちゃいます。
あとは無心で丸写しです。2時間で終わらせましょう!
え?
「そんなんじゃ学習が身につかない」
って?
安心してください。
ちゃんと自分でやっても身につきません。
やらされた感満載なものは何をやっても身につきません。
そして、もっと重要なのは、答えが分かるのは夏休み明けだということ。
これでは意味がありません。というか、やったことも忘れてしまいます。
ということで、夏休みの宿題の
・問題集みたいなやつ
は、多くの場合無駄に終わります。
あしからず。
夏休みの宿題②
さて、夏休みの宿題は最後の3日間でできるのか!?
・・・できます!
まず、夏休みが始まったら、「どうやって3日間で終わらせるか」を考えましょう。
特に時間のかかりそうなのは「自由研究」ですね。
私はこの「自由研究」、ほとんどやったことがありません。
こう書くと怒られるかもしれませんが、やらされてる感満載のものはやっても意味がないと思っているからであります。
なのでいつも考えているのは「どうやって終わらせたことにするか」であり、そのためにどういう題材を選ぶかです。
そして辿り着いたのは、本屋に行って自由研究関連の本を見て「模造紙に丸写しできそうなのはどれか」を選ぶことです。
こうするとほら、3時間くらいで自由研究Completeです(叱らないでね)。
読書感想文も同じ。全く同じ。
「あとがきをそのまま書ける本を選ぶ」のみです。
先生が読んでいる可能性もあるので、マニアックな本の方がいいですね。
これまた、3時間で読書感想文Completeです(叱らないでね)。
夏休みの宿題①
世は夏休みですね。
そして夏休みが終わる頃には宿題が終わらず鬱になるのでしょう。
毎年毎年毎年、何回繰り返すのでしょうか。
夏休みが始まったばかりの頃は意気込んで「宿題をさっさと終わらせてたっぷり遊ぼう!」と思って結構やるんですが、途中までやって辞めてしまうと、もはややらないというパターン。
そして直前になって焦る焦る・・・
あれ、待てよ。
でも毎回宿題やり終えてる。
皆さんもそうじゃないですかね?なんやかんやでやり終えてる。
ってことはですよ、最初からやらなくていいんじゃない?ってことです。
試してみました。
まずは決定からです。
「夏休みの宿題は最後の3日間でやる」
決まりました。
「そんなの無理だろー」
という声が聞こえてきます。
いやいや、できます。
ではどうやるか?
続く
久しぶりに
長らくお待たせしました(待ってない!?)
ある程度時間に余裕が出てきましたので、久しぶりの更新(;’∀’)
そして、突然に、今センター試験を受けたら結果はどうなるか・・・
きっと・・・こんな感じ。
(英語の配点が昔と変わっているのでパーセンテージ表記)
英語:80%
数学:10%
国語:60%
理科:10%
社会:20%
あれれ?と思った人もいるかもしれません。
数学と理科が異様に低い・・・
でも大体合っていると思います。
ちなみに現役のときは以下。
(点数表記)
英語:192
数学:176
国語:175
理科:100
社会:72
ここで言いたいのは、
数学と理科こそ、暗記。
語学は暗記ではない。
ということ。
数学に思考力なんぞ無いよ!?